Type Designer 金井和夫

 Kazuo Kanai ペンネーム Wamu Kanai 顔写真

ペンネームを使う理由(わけ)
蓮のはなし
文字雑感
文字で音楽を表現する?
浮世離れした文字!
もうひとつのかな文字

Greeting & Profile

 

 
ペンネームを使う理由(わけ) 
 
 
 世紀末だ、ミレニアムだ、コンピュータの2000年問題だと、何かと話題に事欠かなかった2000年が幕を閉じ、間もなく新世紀を迎えようという12月29日だったと記憶している。外出しようと玄関を出た妻が、ポストに一通の黄色い封筒が入っているのに気付いた。日本タイポグラフィ協会からの入選通知だった。
 遡ること4ヶ月前の8月中旬、インターネットで調べ物をしている時、リンクを辿って偶然開いた日本タイポグラフィ協会のウェブページに「年鑑2001」の作品募集の記事を見つけた。毎年開いている会員・一般の隔てなく公募している、コンテストだという。その募集カテゴリーの中にタイプフェイス部門と実験書体部門があった。当時、長年の念願であった明朝体の仮名フォントの製作を始めたばかりであった。
 書体の形状(グリフという)には、自信があった。幼いころから、文字に対する思いは相当なものがあった。DTPの仕事を通じて、文字へのこだわりは決定的になった。主要各社の殆どの書体は和文も欧文もどこの何という書体か見分けることができた。もっとも、現在のように、オリジナルフォントが何百種類もある時代ではなかったから出来たことかもしれないが…。いずれにせよ眼は肥えていた。だから、自分はどのあたりの位置にいるのかを確かめたいと思った。その思いのこもった出品であった。タイプフェイス部門ではさすがに敷き居が高く、実験書体部門への挑戦となった勢蓮明朝M(後に勢蓮明朝Old-Mと名称を変更し発売)と名付けたこの書体は、その後のフォント製作の淵源となった。それが、入選したのだった。

 その時は、それだけの事だった。もちろん、素直に嬉しかったが…。件の「年鑑2001」が発刊される段になって、一つの重大なことに気付いた。この「年鑑」は字の通り入賞や入選した作品を一堂に掲載したもので、全国発売される。それなりの影響力を持つのだ。
 私の心には、常に二人の敬愛してやまないフォント作家の存在があった。一人は『タカハンド』の作家・北海道在住の高原新一氏、もう一人は『武蔵野』の作家・東京都在住の金井和夫氏である。そう、後者は私と同姓同名、読みも字も全く同じなのである。これはマズイ…。急ぎ、氏の電話番号を調べ、事の顛末をご報告させていただいた。
 氏は突然の事に当惑し、暫く何のことか理解出来ないようだった。やがて、初対面(この場合は何というのか…)にもかかわらず、仕事のこと、ご家族のこと、お子さんのことなど、親しくお話してくださった。そして、同業で同姓同名では何かとトラブルのもとだろうから、ということで後発の私がペンネームで活動することになった。以後、私は金井和夢(かない・わむ)と名乗ることになる。
 この年は、氏は出品していなかったので事無きをえた。が、「年鑑2003」(株式会社グラフィック社刊:16,800円)では二人とも入選し、年鑑には隣合わせに、しかも見開きで掲載されてしまった。(因に私が左側186ページ、氏が右側187ページ)
 手を打っていてよかったと思った。
 

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蓮のはなし 
 
 
 私は蓮の華が好きである。敢えて "華" と書きたい。"花" という表現ではどうも物足りないのである。
 蓮は、沼や池などに繁茂する華である。私の居住する千葉県沼南町(現在は柏市に編入)はその名の如く手賀沼の南に位置する。手賀沼はつい先頃まで汚染度ワースト1の汚名を永年にわたって維持してきた沼である。最近は浚渫が進み、ようやくその「悪名」から脱しつつある。この沼の一隅に蓮の群生地がある。この一帯はおよそ綺麗という形容詞のあてはまらない、文字通りの泥沼である。そんな環境の中でも周囲の汚さを圧倒してしまうほどの勢い溢れる蓮の華々は、それは見事なものである。まさに仏教で説く「如蓮華在水」そのものである。

「蓮(lotus=ロータス)」はスイレン科の多年草。呼称が独特のような気がする。単に「蓮」と書けば、読み方は普通は「ハス」。もっとも近年、男児の名前のベスト5に必ず入る「蓮」は「れん」と読むようである。
 さて、ハスと読んだ時は、私だけの印象なのかもしれないが、華よりもむしろ食用の茎「蓮根」を連想してしまう。「蓮華」と書いてはじめて蓮の華を表す呼称となると思ってしまうのだが…。この華は、開花は午前5時ごろから始まり、午前9時ごろにピークを迎える。
 よく似た同じスイレン科の多年草に「睡蓮(water lily=ウォータリリ)」がある。クロード・モネの名画であまりにも有名な花である。日本古来の呼び方では「未草(ひつじぐさ)」という。開花時間は蓮とは対照的に昼間である。
 睡蓮は中国の呼称である。睡蓮は前述の通り昼間に咲き、夜に華を閉じる。その、あたかも眠るような佇まいから名付けられたという。それに対し未草は羊の刻(現在の午後2時)に咲くことからその名があるという。片や閉じるほうに注目し、もう一方は咲き始めるほうを注視している。国によってその感性は様々である。名前には、文化の水準、人の情念、時代の背景、その国や地方の土地柄が現れるものである。

 私の会社の名は「タイポグラフィクス蓮(れん)」。フォント開発を目的に立ち上げた。処女作である勢蓮明朝仮名 Old-M は、勢蓮シリーズ第一作である。その後勢蓮明朝仮名Classic シリーズ勢蓮呉竹仮名 Classic シリーズへと、繋がっていく。蓮の名は前述の「如蓮華在水」に由来する。泥水の中に在る蓮華の如く…読み方は合っていないかもしれないが、そのような意味である。どんな時であっても、自分を見失うことの無いように、との思いを込めて名付けた。

 フォントのシリーズの名「勢蓮」は蓮の呼称としては存在しない。私の造語である。蓮の華には一般的な花に対する表現、たとえば、優美、可憐、綺麗、素敵などなどが当てはまらない、生命の力がある。神々しさがある。勢いがある。故に、勢蓮と名付けた。私の感性の範疇では、蓮は単なる蓮ではなく「勢蓮」なのである。
 

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文字で音楽を表現する? 
 
 
「和音」……きれいな響きのある音楽用語である。

 10代の半ば、私はクラシックの流麗で勇壮な和音に魅せられ、本気で作曲家を目指そうとしていた。本気なのは文字だけではなかった。強く影響を受けた人は、Ludwig van Beethoven である。今はもうかなり忘れてしまったが、当時私は、彼の残した9つの交響曲の主旋律と和音を全て記憶していた。とはいっても音譜を暗譜していたわけではないが…。そのおかげ?で音楽プレーヤーは要らなかった。瞑想していれば、自然と好きな曲が頭の中を流れるのである。
 しかし、楽典を買い込み、ある程度の理論をマスターはしたものの、肝心の音感、それも絶対音感が自分には口惜しいことに無かった。結局私は作曲家の道を諦め、デザインの道に専念することになる。それが幸いしたのか、クラシックにこだわりがなくなり、様々な音楽に触れるようになった。

 私が趣味として音楽に親しむようになった1960から70年代は、優れた映画音楽が多数世に出た時代である。『雨に濡れても』『明日に向かって撃て!』の Burt Bacharach、『白い恋人たち』『ある愛の詩』のFrancis Lai、『酒とバラの日々』『ひまわり』のHenry Mancini 等々、今では懐かしい作曲家たち…。特に本年2月に80歳の高齢ながら来日公演を行ったバート・バカラックは、常に音楽シーンをリードし続けた巨人として、私の心に強烈な印象を残した。理屈ではなく心に響く彼らの楽曲は、私の青春時代の珠玉の想い出となっている。

 フォント製作が4年目に入った2004年、私の心に変化が生じてきた。今までは文字数の少ない両仮名・欧文フォントだけを作ってきた。しかし何か物足りない。そう感じていながら、膨大な数の漢字をつくるのは、物理的に不可能だと思っていた。実際にそれに取り掛かることには、様々な部分で大きなリスクを伴う。特に生活面へのリスクは大きい。しかし、作りたい。そして、始めてしまった。名称ははじめから和音と決めていた。
 コンセプトは「文字で音楽を表現する」であった。もともと、相容れない性格をもつ漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットが混在する、世界でも例を見ない文字文化をもつ日本。これを見事に調和させた、明朝体。世界に誇る美しい書体である。まさに「和音」の極地である。
 私は、敢えて漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットに最低限の決まりごとだけを付して、できるだけ、自由な発想のもとにデザインしてみた。言ってみれば「不協和音」に動的な「和音」を見いだすことを試みた。これが成功だったか、失敗だったかは、お客様が判断することである。購買行動は正直である。購入してくださった方からは、狙い通りの感想をいただいているのだが…。

 2004年8月13日に製作を開始してから2007年4月18日に終了するまで、何と2年8ヶ月もかかってしまった。1ウェイト15,000字。これが9ウェイト分あるので、全135,000字にも及ぶ文字数である。この間、母の死、自身のストレスからの過喚気症による入院騒ぎ、かけがえのない友人の死、娘の結婚、義兄の死と、齢50を過ぎると確実に多くなる、慶事、弔事が相次いだ。いやでも、人生を真剣にみつめる2年8ヶ月であった。生活は案の定、ひっ迫状態に追い込まれた。
 そんな激動の中でも音楽は私の心を癒してくれた。しばし眼を閉じ夢想していると、頭の中でベートーヴェンが、Carpenters が、Ray Charles が競って演奏する。セレクトして集中すると、ベートーヴェンの交響曲第7番を奏ではじめる。冒頭フルオーケストラの強烈な音に始まりオーボエの澄んだ音色の独奏が交互に続く。やがてオーケストラの小気味いい上昇音が聞く者の心をいやがうえにも高揚させていく。至福の時である。
 この交響曲は、私の一番のお気に入りの曲だが、名曲の多いベートーヴェンの交響曲のなかでは今一つ後塵を拝していた感がある。ところが最近、テレビドラマ『のだめカンタービレ』のヒットで、Gershwin の『ラプソディ・イン・ブルー』とともにすっかりメジャーになった。まことに喜ばしい限りである。

 良いものは、正当に評価されて然るべきである。私のフォントもデザインもそう言われるようになりたいものである。
 
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浮世離れした文字! 
 
 
 文字作りには大変な労力と忍耐が必要である。
 このウェブの 「Greeting=ごあいさつ」でも書いたが、書体のコンセプトが決まると、後はひたすら1文字また1文字と作り上げる作業が延々と続く。あと何文字などと考えていたら、絶対に最後まで到達できない。ひたすら、忍耐、また忍耐の連続なのである。これは、ある意味、悟りを得るために難業苦行に励む修行僧とよく似ていると思う。

 勢蓮明朝、呉竹(ゴシック)と、どちらかというと正統派の文字を長期間作っていると、無性に、くだけた文字を作りたくなる。我々タイプデザイナーという、特殊な人種の精神部分を支えるもの、それは完成させることの達成感ではなく、「次はこんな文字を創りたい」という創作意欲の連続性であり、未来への希望である。

 私の、文字の原形を書くツールは主に筆ペンである。中でも『ぺんてるの筆ペン〈中字〉FL2L』がお気に入りである。師匠について書道を習った経験のない、にわか書道家の私にとって心強い味方である。
 勢蓮明朝が完成し、呉竹もある程度見通しがたったある日、例の筆ペンで持ち方を変えたり、力の加減を変えたりして試し書きしていた。ペンの柄の先端を親指と人さし指で軽く持って紙にたいして垂直にし、力を抜いて書いていたとき、何とも不思議な文字になった。筆ペンは、実際の筆より毛先に弾力がある。その弾力のある毛先が、力を抜くことで自然に跳ねて、普通に持って書いたときにはまずできないフォルムを描いた。松葉かな-Lの誕生である。

 デザインの技法に「墨流し」がある。水を張ったトレイに墨汁と油を交互に垂らしていくと、年輪のような幾重もの輪ができる。その輪を竹ひごで静かにかき回すと、予測できないマーブル模様になる。そのトレイに紙をこれも静かに置いて模様を写しとる。極めて原始的な方法ながら、確実に美しい模様が得られる、9世紀頃から続く伝統の長い技法である。
「松葉かな-L」もプロセスこそ違え「墨流し」同様予測できない技法?の産物である。この書体は、別稿で紹介した日本タイポグラフィ協会の「年鑑2003」に出品。入選した。このような奇怪な書体は、他にない。それが評価されたのが、とても嬉しかった。口の悪い東京のタイプデザイナーの友人が「千葉の片田舎にいるからできた、良い意味で浮世離れした作品」と曰った。褒めているのか、貶しているのか…。はっきりせい。
 漢字も作ってみたかったが、なにせ書き方が特殊すぎて、なかなか統一性がとれない。時間がかかる。ストレスもたまる。現在、1000文字ほど作ったところで、中断している。両仮名が書けたのが、むしろ奇跡だったのかも…。なんとも情けない、落ちのない話である。
 深く考えないで、時には遊ぶつもりで使ってもらえたらありがたい。作者自身があまり考えないでつくった文字なので——。

 
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もうひとつのかな文字 
 
 
 漢字が我が国に伝来したのは、紀元300年頃のことだという。時は弥生時代、第15代応神天皇の在位中に百済(現在の朝鮮半島の南西部)から渡来した王仁(わに)という人が儒教とともに伝えたことが、日本書紀および古事記(この中では和邇吉師=「わにきし」と表記)に記録されている。もっとも、貿易はこれ以前から行われていたらしい。経済活動のあるところ文字の存在は欠かせないと考えたほうが自然である。だとすると、もっと前から伝来していたのかもしれない。
 最近は、歴史の常識が、ことごとく崩されてきている。昔習ったことが現在では通用しなくなっている。漢字の伝来の常識も、近い将来覆される可能性が十分にあるのではないかと思う。いずれにせよ、日本民族は、素晴らしいコミュニケーションツールを手にいれたことは確かである。

 以後、漢字は、独自の発展をとげていく。とはいっても、新しい漢字がどんどん生まれたわけではなく、漢字自体をもとにした仮名文字を作り出していくことになる。
 漢字発祥の地である中国には中国の、それを日本に伝来させ、読み方や意味を伝える重要な役割を果たした隣国の朝鮮、その朝鮮には朝鮮の、そして伝来を受けた日本には日本独特の文化や風習がある。優れた文字を手に入れても、すべてが、伝来文字で表現できるわけではない。日本特有の「侘・寂」などは当然表現する術はない。それらを漢字で表現するには新たに文字を生み出さなくてはならない。これには大変な知識と労力を必要とする。

 そんな背景があって、表現できる漢字がないなら、既存の漢字の音だけ借りて文章を作ってみよう、という試みになっていく。草書をさらに極限まで崩していく。当時、文化の中心であった和歌にはその表現の仕方が端的に表れている。その繰り返しがやがて伝統になり、一つの文化になっていく。7世紀中頃から平安時代のこと。いわゆる『万葉仮名』(仮名と言っても実態は漢字)の成立である。
 しかし、成立といっても、現在のように一つの音に対して一つの文字として統一されたものでなく、和歌や書物の書き手の解釈や洒落心によっていくつもの文字が存在することになる。つまり、明確な基準がなかったのである。たとえば、『あ』の字の元になっている漢字は『安、阿、愛、悪』などたくさんある。これでは便利であるはずの仮名文字が、種類の多さで逆に不便になってしまう。そこで1900年の小学校令施行とともに、一つの音に対して一つの文字が正式に制定された。これが、現在私たちが普通に使っている現代仮名づかいである。そして、統一されたことによって漏れてしまった膨大な仮名文字を『変体がな』と呼ぶようになった。
 ところが、統一後の現在でも『変体がな』は使われている。主にご高齢の方の名前に多くみられる。都市部ではあまり見られなくなったが、地方に行くと、広報紙には必ずと言っていいほど亡くなられた方の氏名が載っている。そこには、また必ずと言っていいほど、変体がなを用いた名前がみられる。これが、印刷業者の悩みのタネなのである。

 私の作品である奔行かな-Lは、そんな困っている方々のために作った書体である。当初「奔行」は、漢字を含めた総合書体にするつもりであった。「年鑑2004」への出品用に両仮名と数百文字の漢字をつくり出品。入選した。1500字近い原字もすでに書いてあった。しかし『変体がな』が欲しいという声が意外と多いことが分かり、以前から作っていた『変体がな』320文字と正規の『両仮名』そして欧文を収録した仮名書体として、急きょ販売した。この書体は、異体字切換という機能をもったアプリケーション(たとえば Adobe InDesign)でなければ使用できない。また、フォントフォーマットが OpenType でなければならない。統一外の文字を使用するには、結構ハードルが高いのである。ともあれ、購入された方からは、大変喜ばれている。320文字ではまだまだ足りないのだが…。(下の図は Adobe InDesign CS3 の異体字切換ウィンドウ)

Adobe InDesign CS3 の異体字切換ウィンドウ

 街を歩くと、必ず遭遇するそば屋や天ぷら屋の看板。これも『変体がな』である。何と書いてあるのか首をかしげた経験のある人の割合は、恐らく100パーセントではないかと思う。この文字は書道文字である。
書道では、かな作品の創作には『変体がな』が必須である。この練習のための教本には、藤原行成や紀貫之をはじめとする和歌、短歌の名筆選集が使われている。この注釈(活字部分)には、残念なことにどの教本も現代かなしか使われていない。筆跡見本では変体がなであるのに現代かなを用いて、ルビに元となっている漢字を配置している。『変体がな』の活字、あるいはフォントがないのが主な原因だと思うが、これでは教本として片手落ちだと、私は勝手に思っている。
 私の持論は、現代かな、変体がな混在で、変体がなのルビに現代かな、それに括弧して元となっている漢字を配するべきだと思うのである。試みに比較できる画像を添付してみた。私の考えはおかしいのであろうか?(拡大図はリンク画像に用意してあります)

万葉仮名組見本

 
 
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